読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

インターネットに救われたい

 もう何度目か分からないけど、心機一転して新しいブログを作った。TwitterInstagramも新しいアカウントに移行した。人生の半分くらいはインターネットやってるはずなのに、何度でも同じことを繰り返していて、本当に"性懲りもなく"という言葉がぴったりだとしか言えない。もうこれで最後にしたい(、と毎回思っている…今度こそ…)。

 そもそも何で私が定期的にアカウントを心機一転したがるのかって、インターネットのことを「現実ではできない理想の自分を投影できる場所」だと思ってる節があるからだ。そして各種アカウントがそのための人格だからだ。ネット上でだったら、自己肯定できるような自分でいられると思っている。でも自分は自分でしかないから理想通りになんてなれるわけがなくて、しばらく経つと、理想通りじゃない自分を自分自身の履歴で見せつけられてしんどくなってしまう。だからそれを消し去って改めて理想だけを投影しようとする。その繰り返しなのだ。
 SNS疲れ、なんて言葉もよく聞かれるし、症状だけ見るとまあ見事に当てはまって笑ってしまうのだが、それでもやめるっていう選択肢だけはありえない。履歴だけ消して、もしくは履歴を残す場所を新しく作って、何度だってやり直す。だってこっちはSNSができる前*1からSNS疲れの症状と付き合ってるんだから(!)。

 そんな使い方してる根底には、私のインターネット原体験が大きく関係している。
 我が家にインターネットが開通したのは中学校に入った頃だ。当時の私は、現実世界=学校では、自分の言動が笑いのネタにされることを恐れながら、というか普通に行動してると笑いのネタにされるのでそれがなるべく少なくなるよう気をつけながら、日々を過ごしていた。そんな中でインターネットに触れて、ハンドルネームという人格を手に入れた私は、現実世界では伸ばせなかった羽を伸ばすことができたのだ。
 各種BBSやチャット、好きだったテレビ番組のファンサイト。好きなものを好きだと言えて、それを否定も笑われもしない世界がちゃんとある。クソみたいな現実をやり過ごす原動力になるには十分だった。この世界を現実に浸食されては困る*2から、基本的に顔見知りには教えない(厳密にゼロではないけど趣味が合った上で相当心を許していないと無理)。インターネット上でなら、自分が夢見る自分になれる。少なくとも現実世界よりはね。

 そう、私は思春期を拗らせたまま大人になってしまったネット弁慶なのだ。もちろん、前述のとおり、理想のインターネット人格を作ろうとして幾度となく失敗しているから、自分はしょうもない自分でしかいられないことを知っている。もう大人だし。だからそんな自分を自虐するし茶化す。
 でも、選択肢の1つとして、インターネットにそういう救いがあってもいいってことは本気で信じている。なぜなら、いつかの私は本当に救われたから。そして、まだそういう救いが存在する余地はあると思うから。


 とはいえ、このSNS時代、アカウントを変えることによって今まで作った人脈が一部失われることは確実なので、アカウントを作って壊すのはさすがにやめたいのです(笑)あるはと申します。漢字だと有葉と書きます。よろしくどうぞ。

*1:プロバイダの無料サーバーで個人HP作ってた十数年前

*2:ごく初期のころに1度やらかして学んだw